2008年3月20日木曜日

FREE TIBET!からかんじたこと。

今日はUniearthの、ちょっとまじめなつぶやき日記です。

みなさんもご存知かと思いますが、チベットの暴動が世界中で議論を醸しています。

暴動やチベットの自治回復について、チベット族の人権が正しく擁護され、平和な解決を願っているという点において、世界中の人々の意識が、自然とひとつにまとまっているということは、すごいことだと思います!

わたしは、歴史や文化、政治的背景が影響している出来事に対して、
その歴史、理由、当事者の悲しみを、正しく理解することができないという点において、
”正しいことは◯◯だ!”と、自信を持って言うことができません。
チベット族として、中国人として、日本人として生まれたのは、それぞれ意味があるのでしょう~。

ある人は、
暴力(言葉も含む)を暴力で返すことは何も生み出さない。わたしにできることは、心から祈ることだ。
といい、またある人は、
祈るだけじゃなくて、行動が必要だ。だから私は中国製品を買わないことで抗議する。
といい、またある人は、
そんな遠回しなやり方ではわからないから、デモなどで、大使館に直訴しよう!
といい、
さらには、暴力には暴力(言葉による非難も含む)で訴えるべきだ!
という人もいます。
平和への表現や行動の方法は、人それぞれ十人十色。それはそれで全部アリなのかな~って思う。
何が正しくて、何が間違ってるか、判断するのは難しいなあと感じます。
一方で、みな平和を願う気持ちは一緒なのに、考えの違いが新たな論争となり、解決を願う人たちの間で、”何が正しい方法か?”という争いが起ります。
これは、興味深いことだと思いました。
国単位の出来事は、自分より遥かに大きくて、見にくくなってしまいますが、
チベットの暴動や世界中に起っている紛争の、1/10000の出来事は、実は私の身の回りに溢れているなあと感じました。
例えば、人をコントロールしようとする力の取り合い、
都合の悪いことを隠したくなる人の心理、
安さを追求する欧米の消費者が、結果的に世の中のバランスを崩すことに繋がったり、
通じない想い、聞けないプライド。
自分と相反するものを、受け入れられない想い。
自分の行動はさておき、自分は正しい!という主張。
そういうことが、つもりつもって争いが起きるのかな?
わたしも無意識にしちゃってること、あるよなあ~。反省。
その対極には、今わたしたちが体験しているように、少しずつ人々の意識が良い方向に変わることで、世の中がどんどん、面白い方向に変わりつつあるということもあります。 
これらはものすごく素晴らしいと思います。
ダライラマ法王の言葉に、
”ニュースや新聞で悲しい出来事を日々目にしていると、世の中は悲しみに溢れ、物騒だ思いがちだ。
しかし、それらの出来事は、世界中のほんの少しの人たちが引き起こす側面であって、残りの大多数の人々はみな善良な心の持ち主であることを忘れてはならない。”
私はこの言葉が好きです。みんなニンゲンダモノ。
未来は明るい。と信じています!
今回の出来事には、個人的に感じる想いと共に、
良い意味でも別の意味でも、”人間と力”は、切っては切り離せない関係だけに、”力”を正しく使っていくこと、”自分の周りを見直すこと” を教えてもらった気がします。
チベットの人々に、早く安心と平和な暮らしが訪れますように!
みなさんの明日も平和で明るい一日になりますように☆
ということで、ひとりごとを締めくくりたいと思います。
おやすみなさい~☆

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