2011年1月23日日曜日

No title

本日は、おもちゃ事情から地球の未来を考察してみようと思います。

わたしは、プラスティック製品が好きではないので、オモチャに限らず必要に迫られない限り買わないし使わないようにしております。

なぜなら、プラスチック製品は、「便利」というだけで、地球にも人にも優しくない。
そ安い、割れない、壊れないといった、「便利」という言葉の裏には、ものを大事にしたり、地球にとって(=人間にとって)良いものなのかとか、本質的なことがまるでこそげおちているように感じます。

こどもは当然ながら愛すべき存在でありますが、
オトナの都合から縁遠いところで、自由に生きておりますので、
デジカメを便器のなかに落としてくれたり、お皿を床にドンドン叩き付けたり、
「やめて~~」という、いろんなことを自由にやってくれるのですね。

そこで、おもちゃがあると子供の気もそらせるし、知恵玩具を通して、棒に輪っかを通すとかそういう手先の遊びを覚えていくわけですね。
外でいつもみるバスの模型が家にあれば、よろこんで「ぶーぶー」とかいってまねっこしたりします。

こどもはおもちゃを通して遊び、覚え、学んでいくというのはほんとうにそうだなーと思います。
ほんとに、思うんです。

でも、おもちゃ界のメインストリームは
”ほ~ら、こどもたち、これが好きなんでしょ~ ほらボタンいっぱいだよ~ ピカピカピカ!” 

と、なんか媚びているというか、子供の心につけいるようなオモチャが多くて、飽きたら捨てるの使い捨てで、子供をターゲットにしたマーケット感が強く、それらはほんとうに子供のために創られているのかと疑わしい。それらは大抵プラスティックでできているのですね~。
音も、色も、ピカピカも、素材もなんかこうシゲキテキですね。

それでもって、子供はすぐに飽きる!

わたしはシュタイナー教育系の本をよく読む機会があるのもあって、シュタイナーよりな発想なことは否めませんが、おもちゃっていうのは、日常の暮らしのなかにみつけられるもので良いのではないかと思います。
こどもは、想像力が豊かなので、バナナが電話になったり、ハンドルになったりします。
ダンボールがあれば、モノを入れたり出したり、中に入ったり、落書きしたり。
木琴のバチに、木の輪っかをとおして音を鳴らしたり。
一個のものでいろんな遊びをクリエイトします。

それと、おとなのマネがすきなので、テーブルを拭くマネ、食器をかたずけるマネ、掃除をするマネ、いろんなマネをします。
それらはおおきくなっても変わらない動作だから、だったら、ミニタオルや、ミニ食器や、ミニホウキをもたせてあげたらいいじゃない~ お母さんも助かって一石二鳥!って思います。

だから、子供の想像力を上手に生かすには、おもちゃのベースとなるものは、なるべくシンプルで、リアルで、そして自然界に存在するものでできているのがよいかと思います。
逆にいうと、日常の暮らしにないものがオモチャとして存在することのほうが不自然なような気がします。
��音も、電子音より、CDより、母ちゃんの声の方が本当はいいはずだけど、まーそれで踊ってくれることは残念ながらレアですね~。最近は寝るとき歌っても、ヤメろと言われてしまう立場の無い母です。)

もちろん、木でできたおもちゃだってすぐに飽きちゃいます。

それで結局、机のうえ登ったり、引き出しあけてキッチン用品でトンカン工事がはじまったり、父ちゃんの工具ひっぱりだして、ハンマーやら釘やら何やらヒヤヒヤするもの触ってたり、
目をはなしたすきに、やっぱりデジカメを便器に落とされそうになったり まーそんなことばかりですが、それも想像力豊かといえるのではないかと思うのです。

それらを踏まえると、プラスティックのおもちゃに囲まれていればいるだけ、用意された遊びをさせられている。 =それでは、想像する力が上手にひきだせないのではと。
これからのワンネスの時代に、未来を担う子供が自然界から遠いものに囲まれていいのだろうか?と。

地球の未来の行く末にも影響しないとはいいきれないんじゃないか、、、とわたくしは思うのです。
��そして、現代には、もうひとつパソコン、TV、iPhone、電子機器と、子供の目に触れるにはシゲキが強すぎるモノ達の問題もありますね。(こちらは日々反省。))

ちなみに、おもちゃの整理に困っているときは、ダブっているもの、もう使っていないものを基準にどんどん片付けるとよいそうです。

というわけで、もしも、気を悪くした方がいたら申し訳ない。
さらにあつかましいお願いですが、我が家になにかプレゼントを考えてくださることがあれば、プラスチック製品はごめんなさい、でしたら拾った貝殻の方が嬉しいです。ということでどうぞ今後とも鎌田家をよろしくお願い致します。

2011年1月16日日曜日

Bye bye to my past

あるシンクロニシティーがあったので、今日はこの話を書くことにしました

2年前に、日本に帰った時、実家にあった写真や年賀状や物を大処分しました。
1年に1度も見られることなく、押し入れの奥の箱の中でただじっとたたずんでいる過去の私。

風水でも、1年以上使わないものや見ない物は、もう今の自分にとって必要がないので、どんどん手放した方がよいとあった。

それもそうだと思ったし、誤解を恐れずにいえば、過去と今を繋ぐ物質的な存在は、わたしにとってあまり大切ではない。
心に残るのは、出来事の詳細よりも、
楽しかった、笑った、喜んだ、悔しかった、傷ついた など、
どんな思いを体験したかっていう”感覚”だと思うし、そういう感覚は、そうそう忘れてしまうものではない。

しかし、想い出ってやつは、知らない間に執着にカタチを変えてしまってることがある。
物質的なモノが残っている余計に。
そうなっちゃう、もう手放す時期がきてるということ。

私は過去に生きていない、今に生きている。
だから、そろそろ箱の中から、私の過去を解き放ってもいいんじゃないかな?

そういう風に思ったのがきっかけでした。

実際やってみると、何百とある写真や手紙ひとつひとつを手にとり、記憶のフタをあけて過去を再体験するのは、非常にエネルギー的に骨の折れる作業でした。

物心ついたときから20代前半を振り返ったので、いろんな種類の想いがめまぐるしく交差した。
心の方ががついていけなくなりそうなほど!

懐かしくて温かくなるものもあれば、苦笑いしたくなる想い出もあった。
苦しくて直視したくないものもあった。

懐かしかったなー。
プリントゴッコで印刷された年賀状。
あー覚えてる。1月2日から郵便受けにはりついて、今年は30枚きた!って喜んで。
好きな人からの年賀状 そっけない言葉 でも嬉しかったな。
授業中に回した手紙。今読み返すと、先生の目を盗んで書いた割に中味がなかったり、逆にものすごくシリアスだったり。

写真や手紙を手にした時のよろこびは、全部ほんものだった。
そう、あの時には、確かに、写真も手紙も物もひとつひとつ命が吹き込まれていた。

そう思い返しながら、ひとつひとつ手にとって、バイバイした。
あのときがあったから、わたしここにいるね。
一緒に体験してくれたみなさん、ありがとうございます!って。

ほんとうに、ありがとうございます

って心から思った。
これやったら、そう思わずにいられないよ。

まるまる一日かかって、「これは手放せない」と思うわずかな物を残して、過去の私を解き放った。
終わった後はほんとうにヘロヘロになった。ものすごく気疲れした。
傍らでみていた私の母が、おわったあとに”よかったね!スッキリしたね”と言ってくれた。

処分した翌日。
すごくすごく身が軽くなった! 
すごく楽に「今」にいれるようになった。

例えて言うなら、
上にいきたいけど、重しがついていて飛んでいけない風船あるでしょう?
風船は、上に行こうとするのが自然なことですよね。
でも、その風船、自分の目に届くところにおいておきたい。だから飛べないように重しをしてる。
そのうち、飛べない風船が、いつも視界の隅にチラチラするようになる。なんか先にすすめない。
もう十分楽しませてもらった。十分向き合った。
もういいよね。ってその重しを、自分で取った。
そういう感じに似てる。

この話をゆうじにしたら、「写真や手紙を処分するなんて信じられない。理解できない」と言われた。
その気持ちもよくわかる。

だからみんなにオススメできるわけじゃないかもしれないけど、でもやっぱり本音はオススメしたい。
まだ、捨てられないものは、捨てられないようになっているし、それもいつか手放していいやって思えるときがくるから。

自宅が全焼した歌手のUAさんのことば。

自分で棄てれない、
気付いてすらない、
三次元的な執着は、
いつか全員強制的に棄てさせられる。
自ら棄てるより、棄てさせられるほうがもちろんキツい。

自分の意志で棄てる方がいいよね。

わたしはあの作業のおかげでより「今」を生きれている気がします。
自分の中味の大掃除!気持よかった~!

もし、これを読んでいるわたしの友達のみなさんで、整理してみようかなーと思う人がいれば、わたしの過去の写真や手紙は、遠慮なく捨ててください。
過去のあの時、その写真や手紙に託した想い出や感覚が価値のあることだったのなら、それだけで幸せです☆

でもね、手紙は大好きなんです。
知らない間に受信トレイに埋もれてしまうメールより、直筆の手紙が好き!

2011年1月9日日曜日

Bald Eagle over the Rainbow!

Squamishは雨の町

言いかえれば、Squamishは虹の町でもある。

「Look! Beautiful Rainbow!」そういわれて振り向くと、

にわか雨があがったばかりの、曇りとも晴れともつかない空に おおきな虹がかかっていた。

空にむかった虹のはしっこは、雲と雲のあいだにぽっかりとあいた青空に、吸い込まれるようにきえていった。

めずらしく気持ちのいい風が吹いていて、虹のはるか上をたくさんのハクトウワシが飛んでいた。

虹&ハクトウワシなんて、すごくラッキーな気分になった!

ハクトウワシが翼を広げ、風をつかみ、空を舞う姿は、優雅で、雄大。
正々堂々という言葉がぴったりくる。

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(Bald Eagle @Squamish river イメージ写真です)



今日は風のせいなのか、いたるところでハクトウワシが群れをなして空を旋回している。

家に帰って、カメラを持って外にでたけど、さすが雨の町 Squamish。

すでに、空は灰色で覆われ、雨を連れてきた雲が、さっきまで姿をみせていた真っ白な山々も隠してしまった。

ハクトウワシも、雲の上に消えてしまったようだ。

むかしエネルギーに敏感だった時、ハクトウワシのエネルギーがみえたことがある。
本当に高いところを飛んでいるので、地上からは豆粒くらいにしかみえないんだけど、白いエネルギーがハクトウワシ全体を覆っているから、すぐにわかった。
それだけ、ハクトウワシのエネルギーは力強い。すっごいかっこいい!

ドキっとして目をあわせられないほど、目もするどい。
その目で、1000m上から獲物を狙うことができ、魚だけではなく、滅多にないとはいえ、子猫や子やぎも連れて行ってしまうこともあるそうだ。

実際、こんなことがあった。
インディアンのおじさんがかわいがっていた子猫が、あるときいなくなった。
「どうしたの?」と聞いたら、「鷲につれていかれた」と言っていたから本当だ。

ゆうじくんが、「今日は太郎を外に出さない方がいいかもね。ハクトウワシに連れてかれたら困るから!ははは!」と言ったのも、あながち冗談でもないかもしれない。

ハクトウワシは、この地域のインディアンの人たちのあいだで、symbol of POWERと言われている。
力、リーダーシップ、力強さを象徴する。

飛来のシーズンは2月までなので、そのパワーをたくさん感じていこうと思う。
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注:Squamish BCは冬にハクトウワシが飛来することで有名です。

2011年1月8日土曜日

風邪おわり 体の大掃除になったかな。 

胃腸風邪ひいとりました。

今回の風邪はなかなかしぶとかった~~~。

わたし → ゆうじ →たいよう → わたし

見事に一周し、ようやく終焉をむかえそうです。

この胃腸風邪というのはナカナカのものでして、別名、嘔吐下痢症なんていう活字にしたくもない呼ばれの通り、体の中がえらいこっちゃの祭りでした。水すら気持ち悪く、吐き気もひどいので食べられない。。。咳もひどかったナー。

最初にひいたときは、正直、気持ちが、イライラしていました。
風邪を招き入れてしまったこと、年末年始でゆうじさんも忙しく、太陽が元気で休めないこと、そのうえゆうじもうつっちゃうし、、、。
きーっ!いっぱいいっぱい。 
これじゃあ、治るものも治らないよなあ~ って思いながらも余裕がなかった。

��回目は、昨日、突然の嘔吐からはじまりました。
今回はゆうじさんが仕事を代わってくれて手厚く看病してくれて、何もきにせずゆっくり休めたからか、今日はもう調子が良くなりました。
前回1週間かかったものが2日でよくなった!体調悪いときって、人の優しさと休養が何よりの薬ですね。
嬉しかった~。癒されました。

初回は、時間がかかったわりに、”お、治ったぞ!”という手応えがないままなんとなく回復したので、
もしかしたら、”風邪を全うできなかった”からもう一度かかっちゃったのかもしれません。

もれなく太陽も、同じ症状がでたのですが、子供だからかな、すっごい元気。。。
いつも通りきゃあきゃあ元気に走り回り、一瞬でおわったみたいです。

今回は、ホメオパシーのレメディーも試してみました。
ピタっとあうレメディーを探すのがコツですが、合うものだとかなり症状が軽くなりました~。これにはおどろきました。
よく、内から外へ拝毒作用が働くなんていいますが、鼻が詰まって顔が痛いサイナスの症状も、すぐに楽になりどんどん膿がでてきました。

そんな感じで、あまり活字にできないけど、内から外に排出しまくりの風邪だったので、ここまでいけば、体の大掃除になったことでしょう~。
去年、厄年だったし、厄を出し切ったんだね~、良しとしよー!
��そう思えば風邪って、いらないものを排出するチャンスなのかもしれないですね。)

今日はまだ70%なので、ここ一番ゆっくりします。

心も体も健康一番!!!

2011年1月6日木曜日

ASAYAKE

夜明けと朝のあいだの 一瞬のできごと

今日もいい日になる

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2011年1月3日月曜日

カナダより 元旦は晴天です!

あけましておめでとうございます 2011

��011は素数ですね!
「自分以外の数で割り切れない」というのが、個性があるというか、芸術的で美しいなと思います。
というわけで、2011年は、アートの年とし、ブログにカテゴリーをつくってみました!(次の素数は2017年です)

本日こちらは元旦です。
Blue Bird Sky  元旦らしい晴れ晴れとした青空が広がっています。

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昨日は、おしるこ、栗きんとんを作って、年越しソバを食べました。
実は、お正月料理ってちゃんと食べたこともなければ、作ったこともありません。
はじめてつくったけど、お正月気分でよいですね。
食べながら去る年を振り返ってみました。

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2010年は、チャレンジの年だったな~。
何かにチャレンジしたり、フィジカル的に苦難があったわけではないのですが、
”葛藤”がつねに心のなかにあり、その”葛藤”を抱えていることがチャレンジでした。

クリスマスあたりからひどい風邪を招き入れてしまい、ウイルスが体中かけまわっていました。
最後の最後に蓄膿症になり、下をむくだけで顔がガンガン痛い。
いたいよ~とゆうじに嘆いていたら、「じゃあ上向いてりゃいいじゃん!」って言われて笑っちゃいました。そうだよね、下向くなってことだよね 笑
��今、ふと気になってみてみたら2010年は厄年だった。悩める年頃だったかな)

もちろん、キラリと光るキラメキもたくさんありました。
ひとつは、ギターとの出会いでした。
楽器を弾く楽しさが蘇ってきています。
ソロギターを練習しています。
難しいけど、ギターを弾いてる時間がとても幸せ。

うん、”幸せ”という言葉がしっくりきます。

もうひとつは、書きはじめたこと。
ブログは書いても、なかなかペンをとれなかった。
ペンでつらつらと紙に書くことは、わたしにはヒーリングみたいなものなので、わたしらしくあれる場所ともいえるかもしれません。
書くのっていいです やっぱり。

離れている友達の結婚や妊娠、旅立ちと再会 そんな嬉しいニュースもたくさんありました。
あのとき、あんな話やこんな話したなあ~ あれからそれぞれ歩いていってるんだなあ~

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今日、初日の出を見に行こうとおもったのだけど、外は-10℃。
んんー寒いな~。とくじけちゃいました。
そのかわり、下はこのあいだ朝日を見にいったときのタンタラス山の写真です。
群青色の空がジワジワと起きはじめて、朝日がまっしろな山のテッペンを赤く染めていく。。。
一瞬のうつろいを眺めていると、わたしのハートと太陽がひとつになるような気分になる。
心がじわじわと温まってゆく。

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とりとめのない日記になっちゃっいましたが、読んでくれてありがとうございます。
遠く離れてる友人のみんな、いつも繋がってくれててありがとう~!
最近なぜかよく、中学校のことを思い出します。毎日おなか抱えて笑ってた日々。
ブログ書いていると自分は発しているけど、みんなどうしてるかなあ~って思うことがあります。
気が向いたら近況報告してね~、まってます!

みなさまにとって、2011年が健康であなたらしい年になりますように!
ことしもよろしくおねがいします。