2011年4月13日水曜日

夜が夜であるために

東京からスコーミッシュに帰ってくると、「あー静かだな。」ってほっとする。
スコーミッシュは大きい町じゃないけど、かといって小さな町でもない。

それでも、大気のゴオオオーという音や鳥の鳴き声が空に響き、樹々の緑に目が癒される。
ここなら思いっきり空気吸っていいよーって ようやく肩の力が抜ける時。

��時もすぎると町も静かになり、毎晩夜がやってくる。
夜は夜としてしっかり存在していて、星や月がよおく見える。

月明かりがまぶしい夜には、満月が近いことを知る。

隣町のリゾート地ウィスラーはさすがに8時に夜はやってこないけれど、それでも午前2時を過ぎると静かになる。
バーもクラブも営業は午前1時まで。それが州の決まりです。

バーやレストランも薄暗いし、街灯もあんまりないから、蛍光灯や、闇に青白く光る自動販売機や電気で目がしパシパすることもない。

夜は闇の時間。
ひとりだと寂しかったり、不安になったりする。
人恋しくなったり、温もりがほしくなったり、灯りにほっとしたりする。

UAは、”光の力が強すぎたらまぶしくて何も見えないけれど、闇があるから色が生まれた”って言っていたよ。

彼女が本来言わんとする意味とは違うけれど、”光”は”電気”と置き換えることができるね。
人工的な光がまぶしくて、みるべきところがみえないってことともとれる。
太陽のありがたみとか。日々口にする食べ物がどうやってできるとか。闇の寂しさとか、孤独のつらさとか。

面積も人口も違う日本とBCを比べるのはどうかな
なんて思ったけど、
いやいやそうじゃなくて、

みんな地球に産まれた人間。
太陽の恩恵を受けて生きているから、みんなおなじ。

夜がない町なんて、やっぱおかしい。

東京に住んでいたときは、太陽や月の存在を、アタマでしかわかってなかった。
太陽の光を受け取る前に、電波とか、めざまし占いだとか、受け取るモノが多すぎた。
それが、シゲキテキすぎることにも、過剰だってことにも気づけなかった。

こっちにきて、自然のリズムをリアルに感じはじめてから、わたしはどんどんどんどん良くなっていったよ。
体も、心も丈夫になった。
無駄なものがわかり、軽くなっていった。
それでもまだまだ便利さの中で忘れたり、気づかないことは多々。

自然のリズムに合わせていくと、人はどんどん丈夫になるし、知恵もわく。

太陽が昇り、月に変わる。
雨がふって、植物が育ち、森となる。
月が海をひっぱる。
季節ごとに命がめぐりゆく。
被災地でも、樹々は芽を出し、春を告げていると聞いた。

このリズムはもう悠久に代わらないのだから、人間もそこに合わせていることが本来あるべき姿なんじゃなかろうか?

震災から1ヶ月。
たてつづく余震と言っていいのか分からないほどの震度。
福島原発は、レベル7。

残念だーと思うことは多々。
そして、自分が無知だったこと、こんなにも学ぶ機会が与えられているチャンスなんだと知る。

わたしの母は、「自分の年では被爆しても、寿命と病気どちらが早くくるかわからないからまだいい。でも、これからの子供達のことを思うと、、、」と言っていた。

自分の家族にそんな風に言わせてしまうエネルギーを使い続けるってなんだろう?

BC州には原子力発電所がない。
日本みたいに明るくないよ。
けど、原子力発電所があるのとないのとでは、どんなに心の在り方が違うだろう。
それだけじゃなくて、ある程度サバイバル出来る暮らし創りも大事だね。

いろんな動画があるけど、田中優さんの原子力発電と電力会社の関係、自然エネルギーお話は、”原子力がどんなに危険か”だけじゃなくて、お話にパワーと未来があって、バシっときたのでリンクを貼っておきます。

マザーテレサは「反戦運動には参加しませんが、平和活動にはよろこんで参加します。」と言ったそうですが、わたしも共感しました。




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