2013年4月8日月曜日

東京ブルー

わたしは東京・世田谷の下高井戸という街で生まれ育った。

高校は、渋谷と恵比寿と代官山のまんなかにあって、制服もなければルールも特にない、とても自由な学校だった。
毎日、痴漢が多いと言われる井の頭線(なのに一度も遭ったことがない)で渋谷まで通い、個性的な人たちに囲まれて過ごした3年間だった。

在学中も、卒業してからも昼も夜も渋谷や新宿が遊び場だった。
エンジョコウサイとかふっかけてくるオジサンもいたし、変な勧誘されることは日常茶飯事だったけど、そういうリアルにダークなこととは無縁で、毎日シゲキテキでたのしい時代だった。

だけれども、同時に東京を嫌う自分もいた。
高校を卒業するころ、東京を、日本を出たいという想いが強くなり、実際、20代前半は海のむこうにいくために時間もお金も費やした。

東京が好きじゃなかった理由。

たとえば山手線のホーム。
ひっきりなしやってくる電車と溢れかえる人の波でぼんやりと立ち止まってしまったとき。
満員電車で揺られる朝。
ひとつの箱に何十世帯が住む巨大な団地に正面きって向かい合ったとき。

そういうとき、たびたび、巨大なものに圧倒され、どうしようもない無力さに打ちのめされて、たいせつなことや、わたし自身が埋もれてしまいそうになる。

なんとか必死で”わたしはここにいる!”と叫ぶのだけど、誰にもその声は届かない。
というか、誰にもその声は必要とされていない。自分は、1億分の1でしかない。
東京には、人の数だけ、そういう孤独さがある。
やがて、自分をごまかすこともできるようになる。妙に器用になっていく。

緑とか、風とか、田んぼとか、土とか、山とかそういうものに憧れた。
無意識的に、もっと呼吸がしたくて、自分を大事にしたくて、自然を欲するようになっていたのだと思う。

そして、カナダにたどり着いた。

カナダと日本を行き来すようになって、5年が過ぎた頃。
東京に帰るたび、ネオンの明るさや忙しさに目眩がした。
わたしの母も、祖父母も東京の人なので、わたしには”故郷”という響きからイメージするような場所がない。故郷がある人がうらやましかった。

さらに5年が過ぎたころ。
不思議なことに、東京の忙しさや、独特の雰囲気を、懐かしいと思う様になった。
もし1人の時間があったら、どこそこに行ってこんなことをしたいなとか、昔行ったお店まだあるか確かめてみたいと思うようになった。
どこにいくにも、誰かと繋がるにも時間がかかるけど、そういうことにイライラしなくなった。
今でも巨大なものに打ちのめされそうになるし、真髄にたどり着くのは簡単じゃない。
だからといってそれを不安に感じなくなった。
そして、若かったあの頃に、今の自分を重ねてみたいと思う様になった。

そして、今では、たまたま見たドラマで私が暮らしていた町が出ていたのをみて、懐かしくて泣きそうになってしまった。

わたしは、どうやら東京を愛しはじめているらしい。
わたしの、故郷として。

次に帰国したときは、行ってみたいところがたくさんある。
今度は、もっとあの街を愛せるようになるのかもしれない。
自分のルーツを愛せるようになったら、もっと自分を愛せるんだとおもう。

そんな自分が楽しみでもある。
年を重ねるっておもしろい。
どうやらわたしの人生も中盤に入ったのだと思う。

人生の深みみたいなものが、すこし分かりはじめてきたような気がする。

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