2015年11月15日日曜日

武器のない日常

かねてからずっと心の中にあったのですが、今こそ言いたい!とことを書こうと思います。

戦争から遠く、日々平穏に暮らせている私の周りでも、
小さな子供達が目にするもの、手に取るもの、耳にするものの多くが、武器や戦争を連想するものが多すぎます。

戦争から遠い暮らしをしている人のほとんどが(と思いたい)、武器や戦争なんてまっぴらだと思っているはず。
過去や現在の戦争から、力で衝突しあっても、はかりしれない傷をおうだけでなにも解決しないと、理解している。
それが、この時代に生まれた人達の共通認識だと私は信じたい。

なのにもかかわらず、小さな子どものおもちゃの多くは、銃の形をしていたり、
子どものテレビや映画にも銃撃戦がでてきたり、”正義”という建前で力でねじ伏せて悪を倒したり、、、、。

男の子の母親として、男性には狩猟本能があり、守る意識があり、男性ならではの勇敢な知恵と度胸があり、その一環として”闘う”という本能があることを知りました。

弓矢、スリングショット、剣、罠、チャンバラ、騎士やドラゴン、ポケモン、。

これらの遊びには知恵と勇気と冒険心をかきたてるパワーもあって、どこからがダメと線を引くのは非常に難しい。武器と道具に魅せられる本能があるのはわかる。

でも、”銃”は違う。冷徹すぎて、心が凍る。

メディア規制のあるWaldorf Schoolですら、男の子は木の棒を持って”Banban!"と撃ち合いごっこをしている。
友達に銃をつきつけて”You go to jail!"と言うのである。
隣の家の男の子は、太陽とるなに向かって”Hands up!"と言うのである。

今日も公園で、おもちゃの銃で、とんできたしゃぼん玉を撃っている子がいました。
それを眺めている太陽とルナ。

こうやって、世の中は、戦闘地帯でもない幼い子どもの心にも脳にも、銃のある日常を植え付け続けている。

「うちの子だけは」、と遠ざけようとしても、街角やお店や映像、学校のお友達との遊びの中、そこらじゅうにありすぎて完全にシェルターするのは無理。

おもちゃ会社も、映像会社も、武器や銃撃戦を通さないと、楽しさやメッセージは伝えられない?


たとえ撃ち合いっこしても、実際にはやらないから大丈夫って、
社会はまだこういうものを子どもに与え続けなければならないのでしょうか?

これからは、武器を置く勇気のある社会に。
子どもが手にするもの、見るもの、聞くもの、すべてから、武器を連想させるものがない社会になってほしい。
本当に。切に願います。

今、時代の分かれ目だと思う。
これから武装していかないといけない世の中だと思うか、戦闘のない世界を望むか。
世の中の、ではなくて、自分の信念は?
自分の描く未来は?今は?どこにフォーカスしていく?

と聞かれている気がするんだ。

こういうこと書くと、心が疲れるけど、こんな時だからこそ、自分の信念を大事に、なんでもない日常に感謝して、ワクワクしていこう。
同じ意識の人達とハートが繋がって、地球と繋がっていたら大丈夫だね。

LOVE & PEACE !

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