2016年8月14日日曜日

子供に英語(reading)を教える。その2

太陽に文字を教えていて気づいた、最高にして最大の難しさは、
文字を知らない子どもは、耳から聞く”ことば”と、”文字”が一致しているという発想がない。
太陽は一応、ひらがなが読める。けれど、”ことば”としてすぐに理解できない。
文字を覚えたての子どもには、文章を読めても、意味の繋がらない音を羅列しているようにしか感じられない。大人の世界で言ったら読経みたいなものだろうか。(この方の記事が一番ピンとくる。)

だから、"am"という文字が、”I am"の"am"だということがなかなか理解できない。
何度言っても"and"と”an"と"am"の区別がつかない。
私もイライラして、”だからさ、何度も言ってるじゃん!”って怒ってしまった。
ハイ、ダメなパターンです。
そして、太陽の目からこらえていた涙が溢れ出した。

これまでも1週間に2、3回、1時間ほど”プリントタイム”を作ってきた。
今まで何も教えてこなかった反動か、ひらがなや足し算引き算は喜んで学びたがった。
”わかる楽しさ”が新鮮で、ワクワクに繋がっていた。
わからなくても投げ出さず、がんばって考えた。
”学校は勉強するところ”ということばをポジティブに捉えていた。

だけど、今日、わからないことがつらすぎて、くやしくて、太陽は号泣した。
自分が、新しいクラスメイトよりもできてないだろうこともわかってしまった。
学校というところは、こんな”勉強”を1日5時間もするところだと知ってしまった。

彼の中で、勉強する楽しさやワクワク、学校への期待が壊れてしまっただろうか。。。

そうしてしまったのは、わたしだ。

”おかあさんが、むりやりやらせるからいやだった。”と太陽は言った。
ごめん。そうだよね

でもさ、学校ってさ、やりたくてもやりたくなくても、好きでも苦手でも、やらないといけない時があるんだよう、太陽。

そりゃ、海に放り投げてもいつか勝手に泳ぎだすのは分かってる。
でも、泳ぎ方を少しでも教えてやりたいと思うのが母心なんだなあ。

逆にいうと、今までほとんどそういうこともなく、自由に、心と体の成長だけにフォーカスして、遊んでこれた7年間はかけがえがなかったんだなあ。

7年間、文字を知らず、5感とイマジネーションをたよりに、物事を観察し、考え、感じることできたのは、貴重なことだった。
同時に、社会性と自信を育ててもらった。
ありがとう、Cedar Valley Waldorf School。

と思うと、Waldorf schoolがとてもとても恋しくなるのでありますが、
それよりもなりよりも、”いつまでもかわいいちびっ子太陽くん”が、
すっかり少年の仲間入りを果たしたことを痛感し、
誇りと寂しさを感じる、ある晩夏の午後でありました。

親のそばにいて、かわいい時期はほんの少し。

なんだね。

さて、明日も夏期講習は続きます。
明日は、”楽しく!”をモットーに!?できるかなー。



近所の河原。癒される〜






オーバーヒートした頭をリフレッシュしにきました。
がんばれー息子!







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