2016年12月24日土曜日

続・思いやりを育てる & Merry Christmas!

こちらは、クリスマスイブを明日に迎え、駆け込みショッピングなのか街がバタバタしています。

こちらのクリスマス、クリスマスキャロルや、手作りクラフトで温かい雰囲気がたっぷりあって大好きです。

と同時に本当に毎年考えさせられる。

物・物・物&チョコレート

現代の子は、与えられることに慣れていて、’物’が彼らの心をどれだけ豊かにし、感謝の心を育てられるかは疑問だよなあ。

まあ、子供に限ったことではなくて、大人同士でもプレゼントのやり取りをするので、こちらのクリスマスは日本のお歳暮文化と似てるかもしれない、と言ったらわかりやすいかな。

なにはともあれ今年もやってきたクリスマスシーズン。
先日、思いやりを育てるという記事を書きましたが、その続きになるような、ちょっと素敵なことがありました。
それは、少し前に太陽の学校であった、'Santa's gift shop"というイベントの時のこと。

このイベントは、学校中の家族から、新古品のおもちゃや、ジュエリー、雑貨などのドネーションを募り、子供が買える値段をつけて、その中から子供達が家族のみんなにギフトを選んで贈るというもの。

だいたいどれも一つ50セントくらいで売られているので、3〜5ドルもあれば家族みんな分のプレゼントが揃います。
いわば、子供達がサンタクロースになって、家族を喜ばせよう!っていうイベント。

与えられることに慣れている子供達にとって、
”自分のお小遣いで家族のためにプレゼントを選ぶ” って
優しくてワクワクする、思いやりの育て方だなあって、心が温かくなりました。

ちなみに、うちの太陽くんも、私とルナと父ちゃん(兼 自分)のプレゼントを、じっくり時間をかけて選んできてくれました。
選んでくれた物もそうだけど、純粋に彼の気持ちや時間が嬉しかったなあ〜〜。

なかでも、ルナが一番喜んでました。

イースターのうさぎのぬいぐるみと、シンデレラの絵本。










太陽くん、私やユウジには絵を書いたり、お手紙くれたりするけど、
妹に、自分が選んだプレゼントをあげることってなかったと思うから。

ルナちゃん早速、季節外れのイースターバニーちゃんと一緒に寝てました。











このイベントも、なんたって親たちの”思いやり”からきていると思うと、思いやりは循環するのだなあと気づきました。

そう思うと、サンタクロースの魔法も、世界中の大人達の ”思いやり” でできている。
この魔法にかかった人が、いつまでも忘れないのは、
もらったおもちゃのことではなくて、”魔法にかかったひと時”なんだよね。
人は、この素敵な思い出を後世にも伝えていきたいって思うから、今も世界中で続いているのだよね。




サンタへのお手紙。
































そうだ、昔、カナダにきたばかりで、クリスマスに予定がなかった時に、
友人のホームステイ先の家族(つまり全く知らない人)がクリスマスディナーに呼んでくれたことがあったな。

なに食べたかは忘れたけど、”クリスマスに異国で一人で過ごすなんてダメよ!”っていうその気持ちが何より嬉しかったな。

結論。本来、クリスマスは思いやりの日なんだわ。

クリスマス、皆さんも心温かい、マジカルな一日をすごしてくださいね!

Merry Christmas to you!





スーパーにあった大きめのツリーを買ったら
予想以上の大きさでした。。。家狭いのに。




過去記事で人気のサンタクロースのプレゼント と simplify christmas もよかったらお読みください。
人気があるってことは、共感してくださる人が多いということなのでしょう。


2016年11月24日木曜日

思いやりを育てる。

”人間は、生まれながらにして、愛と、尊厳と、思いやりを持って生まれてくる。”

これは、わたしの心を育ててもらった場所であり、わたしのMentorである、
シュティカのリーダーの言葉。

親になった今でも、その言葉は正しいと思う。

ただ、子供を育てていて思うのは、”他者への思いやり”という意識は、
小さいピュアな子供たちの中にはまだ育っていないことが多い。
ここでいう思いやりは”言われたからやる”(おもちゃを貸すとか)というタイプの思いやりじゃなくて、心から行動できる思いやりという意味で。


わたしは、思いやり(優しさ)と悲しみ(苦しみ)は表裏一体だと思っている。
本当の優しさは、悲しみが育ててくれたり、共感することで育つ気がする。

でも、うちの7歳と5歳の子供たちは、まだ”悲しい”といって涙を流したことは一度もない。
映画をみたり、友達が仲間にいれてくれなかったりして、”悲しい”という概念はなんとなくわかるけど、、、。というくらい。

それは、とても幸せなことである。

その反面、ではどうやって”他者への思いやり”を彼らの中に育てたらいいものか。
もちろん、思いやりについて、レクチャーしたことはある。
けど、案の定、心に響いているのか響いていないのか、、、、。。。

そしたら、最近、ちょっとした変化がありました。

太陽の新しいクラスに、Kくんというかなり意地悪な子がいるそうで、
(この子の意地悪が原因で、クラスの子が脱走して学校内で行方不明になったらしい。)、K君に意地悪されることで、”悲しみ”を体験しつつあるようだ。

”その子の行動をまねしたら、誰かがSadになるから、太陽はしないようにする。”

”その子がいつも変な言葉ばっか使うの。その子みたいになるのよくないから、太陽は悪い言葉言うのやめるよ。”

と、言い始めた。

おお〜〜、これは、見事な反面教師というやつではないですか。
意地悪な子がいると聞くと、親としてちょっとドキッとするけど、K君がいるおかげで”他者への思いやり”を学んでいるのだから、それはそれでありがたい。
わたしが100回言うより、その子から学ぶことの方が真実だから。

直接的でかつインパクトが強い、嫌な経験から学ぶ方法は、確かに心に響く。
それはそれで、悲しいことあったら嫌だなあ、守ってやりたいなあと思ってしまう親心。でも、親がなんでもシェルターし続けるのは、子供にとってよくない。
まあ、太陽も誰かに悲しい思をさせてしまっているかもしれないし、お互い様なんだろうし。。。


学校に通い始めると、自分の腕の中にいて、目の届くところにいるのとは違うステージだってよくいうけど、最近は”見守ることの大切さ。” 感じてます。

人間関係って本当に深い学びですね。。。。
みなさんも心当たりがあるように自我が生まれだした幼児は, Egocentricです。
そう考えると、人間はEgocentricの状態からaltruistic(エゴセントリックの対語)までの過程を人生かけて学んでいるのかな。なんて思えてくるわ。

子供のこと書いているようで、エゴセントリック、思いやりなんて、
それこそ、普遍の、40近くになっても学んでいるテーマだものね。

2016年11月20日日曜日

Lantern Walk

Waldorf Schoolの冬を迎える行事の第一弾、Lantern Walkがこのあいだありました。

もうね、本当にシュタイナー教育大好き!と言いたくなる、とても素敵なイベントなんです。

11月も半ばの初冬の夜に、クラスで作った手作りランタンを持って森に集合します。







6時とはいえ、森はもう真っ暗。
森の歩道の両脇に、点々とキャンドルが灯されています。
そう、この森の中をキャンドルと手作りランタンの灯りを頼りに歩くというイベント。

たとえ、キャンドルとランタンの灯りがあっても、隣の人の顔がわからないほど暗い。
真っ暗な森を歩くって、なかなか神秘的な体験ですよね。

特に子供にとって、”闇”というのは、漠然と怖いものであることが多いと思います。
いつもはやんちゃな男の子が、お父さんに寄り添って歩いていたり、
ランタンに灯したキャンドルが消えないように、優しく歩いたりする子供の姿がとてもかわいらしい。

歩いている途中、森の闇の中から、バイオリンや、フルートの音色が響いてきます。

夜の森が、怖いものではなくて、美しいなと思える時。
闇を受け入れることは、怖いことじゃない。

子供達にとって、友達と夜の森を歩くってのも、普通じゃなくてワクワクする。


ただ歩くだけで、何があるってわけじゃないけど、感じることは昼間以上にありました。

まさに下の絵を、体験しているような、
文章ではなかなか伝えづらいけれど、マジカルであり、”豊か(Rich)”な時間なのです。




Whistler Waldorf School Mr. Ragland's drawing


子供達にも、伝わったんじゃないかな。

帰りに太陽が、”夜は怖いことじゃないよ。夜がないとお月様はでてこれないし、フクロウやコウモリが動けないし。”って言ってました。

そうそう。

夜は、朝と同じくらい、大事な時間なのだよね。
闇は、光と同じくらい、価値があるものなのだよね。

互いのありがたさを知るために。
互いが敵ではないと知るために。

さて、来週はAdvent Gardenです。
こちらも大好きなイベント。シュタイナー教育最高!

楽しみです。



2016年11月7日月曜日

冬時間になりました。


サーモンが戻ってきた。










おなかが赤くなりはじめたばかり。
毎年思うことだけど、身をボロボロにして、よく戻ってきたね。

私たちの忍び足の気配でさーっと逃げるくらい敏感。

しぃーーーーっ!静かにね。












長い長い雨。
”日差し”を最後に感じたのはいつだったかな。
青空を見たのはいつだったかな。










夕暮れ時に、さあーっとどんより雲が散っていった。
久しぶりの夜空。
月。
あまりに久しぶりすぎて思わず外にでてしまう。
空が冬色になった。
それも一瞬。
寒い雨が、また夜を支配する。








  

大根と白菜。
上手に育ってくれるといいな。


2016年11月1日火曜日

かばんの中身

太陽が学校が帰ってきた。

いつもはバックパックをそこらへんにほっぽらかしてどこかへいってしまうのに、
今日は開口一番、

「ただいま。太陽かばんかたづけてくる。」

といって部屋に向かおうとする。

んんー?

「ねえ、連絡帳みせて。」

といつもように、私がかばんをあけようとすると、

「さきにかばん片付けてからね。」という。


んんんんーーーー?怪しすぎる。というか、わかりやすぎる 笑


母は、”家政婦はみた”よろしく、こっそり太陽のあとをつけていって、柱の陰からのぞく。

そんな私を見つけて憤慨する息子。

そんなに怒るなんて、
ま、ま、まさか、7歳児にしてエロ本か!?(←今はネットの時代かね?)

それは冗談だとしても、考えられるのはポケモンカード。
最近毎日学校に持っていって友達とトレードしている様子で、一応家のルールを守って遊んでいるはずだけど、最近コソコソしてることも多いので、一番ありうる線かと。
どうやら、おやつをいれていたプラスティックの箱が秘密を握っているようだ。

男の子には、自分の空間が必要だというし、親があまり立ち入るのもなんだけれど、、、
と思ったのは一瞬で、結局、


鬼の声で「なに隠してんのよ。」と追求。

「お母さん、おこるもん。」と泣きそうな太陽。



すると、苦し紛れに、おやつをいれていたプラスティックの箱の中身をタンスの裏側にぶちまけた。


なんだ!?とかけよる私。



しかし・・・なんてことない、中身は、木切れの塊だった。


安堵したのと同時に、なぜこんなものを隠す必要があるのだろう??
わたしだって、いくらなんでも木の枝を持って帰ったくらいで怒るような親でもない。

ぶちまけた中身を掃除してるあいだに、太陽はそそくさと庭に出て行ってしまった。





その後わかったことだけど、太陽が隠し持っていたのは、トカゲだった。
父ちゃんと学校帰りに薪取りに行ったときに森で見つけてきたそうだ。

たんすの裏に、トカゲと一緒にいれた木切れだけをぶちまけ、
そのすきにトカゲを捕まえて庭に走っていったというのが事の顛末だった。

エロ本でも、出所不明の高級ポケモンケードでもなくてよかった。

トカゲぐらいで、怒らないわよ、、、、、。

ねえ!

・・・たぶん。。。

私もガーデニングやら、薪取りやら、森遊びを通して、苦手の多くを克服したので、
トカゲなんて、もはや「かわいいカテゴリー」に入る生き物になった。


というわけで、宇宙人みたいなトカゲ(厳密にいうとサラマンダーなのかな)が一日でも長生きできるよう、住環境を整えて観察することになりました。

トカゲって宇宙人の仲間で、「ワレワレハウチュウジンデアル」と交信してきそうな気がするんだよなー。






苦手な人いたらごめんなさいね。でも、かわいくない?

2016年10月29日土曜日

心の冬支度。

薪ストーブに火をつける。
夜がやってくると、夏の間は使う事がなかったカーテンを閉めた。
冬至に近づく日々に追い打ちをかけるように、ハロウィーンが過ぎると冬時間になる。
4時すぎるともう暗い。

すきま風を感じさせない薪の温かさに体をゆだねる。
氷が溶けるような、薪独特の暖かさ。
一度知ってしまうと、離れられなくなる。
しかし、充分だと思っていた薪がみるみるうちに減っていくようで、
これから無事に真冬を越せるだろうかと少し心配になる。

しとしとと降り続ける雨のおかげで、外にでる機会が減り、こもることが多くなった。

意識が内側へと向かう季節。
大事だなあ。わたしにとって。



この夏もいろんなことがあったなあ。

楽しい事はたくさんあった。
悲しいことも少しだけ。

大人になることは、葛藤を抱えられることだと母が言った。
葛藤しつつ、何があっても幸せだと思える強さを持っている人が大人なのかもしれない。

好きだなあ、こういう時間も。

お庭の桜、全部葉が散りました。
よし、冬くるね。














2016年10月3日月曜日

ギターの秋。

9月に入り、子供達2人とも学校にいくようになったので(yay!!)、念願のギターレッスン始めました。

子育ての合間、リフレッシュのために、時に現実逃避のために、ちょこちょこ触わりながらなんだかんだで7年目。
たいしてうまくないけど、譜面に書いてあるコード弾きでジャカジャカやるだけじゃ、ギターの醍醐味、面白さと深さ、全然到達できないってことに気づきました。

かといって、ギターの仕組みを理解するのに、独学じゃ挫折しそうだったのでレッスンin!




いやはや。
目からウロコです。
頭の上で電気がピカーンってついたような衝撃。

全然知らなかったわ!がたくさんで、嬉しい。

私、ピアノのバックグラウンドがあるので、音楽理論的なことはある程度わかるかなと思ったんだけども、ギターとピアノは違うね!(当然っちゃ当然だが)
今、久しぶりに音楽理論で《音階とは》 とか、《メジャースケール》だとか#や♭がどうとかこうとか、やってまして、頭がこんがらがってます。

しかも、ドレミが染み付いてしまったため、CDE で言われても、瞬時に反応できない。
ドレミ=CDE変換にダイヤルアップ並みに時間かかるため、ついていけないの!

そんなこんなもウキウキしちゃうくらい楽しいです。

先生曰く、この理論は、ギター界でのUniversal Languageだから、これを理解できればあとのことが楽になるとのこと。
うん、なんだかそんな気がしてる。
もっとしりたい、ギターのこと♡

そう、音楽にはUniversal Languageがある。
言葉で人を分けない。
誰にでも伝えることができるし、繋がることができる。

音楽の一番好きなところだな。

いつの日か、ボサノバ ソロギター演奏会を開けるように精進しますので、
その時はサングリア片手に参加してくださいね! なんつって。


P.S.あ、そうそうこれから子どもにピアノやら楽器を教える時は、ドレミよりもCDEで教えた方がいいですよ〜。あとあと音楽的な話と理解度が加速するよ。





Taylor GS mini Mahogany
小ぶりで優しい音がする。
この子のいいところを
引き出せる演奏ができるようになりますように。

















2016年9月9日金曜日

晩夏にて 2016。

もうすっかり、秋の気配。


今年の夏は、あっというま だったなあー。




太陽の学校の校庭から mini yosemiteみたい




Britannia Beachに引っ越してから、海が近くなった。


Britannia Beach BC






2016年は海の年なんだなあ。
海をみてると、心が開いてくのを感じる。
ふわーーーって力が抜けていく感じがする。
海が流れと波の音で、あたまのなかが空っぽになる。
これぞ、海パワー!

子どもも海でたくさん遊んだ。
海にtideがあること、tideは月と関係していることを学んだ。
波があるから風ができるのか、風があるから波ができるのかどっちだったけなあー。
なんて、海と惑星に思いを馳せてると不思議な気持ちになるわ。
Experience based outdoor lesson.  自然は寛大だわー。

そうそう、Squamishの入り江、Howe Soundにたまにオルカ、クジラ、イルカが戻って来るようになった。
海にいくたび、目を凝らすけれどまだ遭遇できず。

できたら今年、来年か、Howe Soundでオルカに会いたい!!!
子供達と、Britannia Beachの浜辺で遊んでいたらオルカに会えるイメージして、
”オルカさん、いつか私たちに顔をみせてね”って、子どもと一緒に、海にお願いしました。
いつか叶いますように。


夏の真ん中は、Beach to another beach。
Squamish to Port Renfrew BC.

ビクトリアの西の端。
West Coast Trailの始まりであり、終わりである小さな村。






Botanical Beach, Port Renfrew



ここの森には、不思議なぐるぐるTreeがたくさんあった。
磁場というのだろうか、森に満ちている氣が濃いというか、なんというか。
自分が、スピリチュアルな存在であることを思い出した。
満月の夜に、なにかが起こりそうな場所。
また行きたいな。


残りの夏は、Squamish近郊で過ごしました。



Britannia Beach River






Near Mamquam River Squamish




Squamish Estuary 


地元Squamishの私のHappy spot。
子どもが一緒だから、森の中で座ってじっくり静かになるような時間はないのだけど、
それぞれの森で流れるエネルギーがちがう。

SquamishはDiversity  of Nature (多種多様な自然形態)と言われていて、
海あり、岩あり、森あり、川あり、山あり。ほんとうにおもしろい。
”今日はどういうエネルギーに触れたいかな、どこ散歩しようかな?”って選べる幸せ。
贅沢なことだなあって思う。

ここ1年程でSquamishの街の成長が急すぎて、気持ちがザワザワしていたのだけど、
この夏を通して、わたしの気持ちが落ち着いてきた。
やっぱり、ここ好きだな!
たくさんのSpritにあえる街だなって思う。
今、ここにいれていることに感謝。

夏の終わりを告げる区切りのように、8月の最後の週に寒い雨が降りました。

そして、今日からまた晴れ。
それなりに暑いけど、樹木が熟成した色が空に映るようになった。
季節は秋にかわったみたいです。

ああ、楽しい夏だったなあーーー。


おまけ。
下のyoutubeは50頭のオルカがGaliano Island海峡(バンクーバー近郊の海)にやってきた動画です。赤ちゃん連れのオルカファミリーもいるし、3:50あたりからオルカが遊んでる姿がSo amazingだからぜひみてみてください。
BCらしい海の姿を感じれます。
こんなオルカ達みれたおばちゃん達超ラッキーだね。







こちらはSquamisのHowe Soundに現れたオルカファミリーと狙われたあざらしの物語。
オルカに囲まれて船に助ける求めるアザラシと、予期せぬ遭遇に冷静を装いながら興奮して、Fukin'とsihtを連発するおじさん達の、ある意味、チャーミング?!な動画です。











2016年9月8日木曜日

布ナプはひとつの愛のカタチ。

草木染めの布ナプキン、ECO MOON PADを続けて、4年になりました。

使い心地がとっても気持ちいいよっていうコメントを頂くことが多くて、
私も嬉しいかぎりです。

さて、ちまたでは”布ナプにするとこんな効果が!” という謳い文句の中に

ー不快な症状の軽減(ムレ、かぶれなど)
ー生理痛の緩和
ー経血コントロール
ー生理周期の安定
ー生理の期間が短くなる

なんてことが書かれていますが、実際の布ナプユーザーのみなさんの感想はいかがでしょうか?

例えば、物理的に、使い捨てナプキンよりも通気性がよいので、ムレやかぶれが軽減されることは利に叶っている思います。
また、私個人としては、上にあげた効果は、全てにおいて効果があったと実感しています。生理の質はかなり改善しました。

しかし、それでもたまに生理痛に見舞われることもあるし、経血コントロールなんてたいして意識してないしってな感じです。

布ナプに限らず、”健康なことをやっているはずなのに、そんなに改善がみられない”時に、
なんでだろう?と自分を責めてしまう方がいらっしゃいます。
真面目な方ほどなおさらです。

ーちゃんとやってるのに、生理痛がなくならない
ー経血コントロールするような体にならない
ームレ、かぶれはなくなったけど、やっぱり不快だ

それならそれで、自分の体と心の反応を、受け止めてあげて欲しいなと思います。

そもそも、慢性的なことを改善するのに、たった1つやり方を変えただけでは、
多少の改善はみられても、問題がなくなるなんてことは難しいと思います。

当然ながら、人は日々の暮らしで、バイオリズムがあります。
体は心と密接に関係しているし、食べ物とも関係しています。
ストレスが多い時には、体もそのように反応するでしょう。
ジャンクなもの食べていても、心がハッピーな時は、体も順調でしょう。
ある一面においては、かなり健康だけれど、別の面においては健康とはいえない。そんなこともあるでしょう。

癒しがおこる、不調が改善されるときは、少しづついろんな方向からのアプローチで、時に長い時間をかけて、徐々に癒しが起こるものだと思います。
短期間での劇的な改善も、その後の地道なメインテナンスが大事だと思いますし、癒やされたと思ったのに、ぶりかえすこともあるでしょう。

そこで、布ナプを愛してやまない私からの希望ですが、布ナプを使い続けるためにも、
あまり”効果”に囚われず、その優しい使用感をまず好きになってほしいなと思います。

使い捨てやタンポンと併用していてもいいんです。
でも、布ナプが、心と体が気持ちのいい、at home的存在でいてくれたらいいなと思ってます。
布ナプが自分自身を観察するツールであってほしい。
At homeのようにほっとする場所では、自分に嘘つかないでしょ?

生理を好きになって、自分自身を好きになるきっかけであってほしい。

布ナプは、あなたをまるごと受け入れるひとつのサポート、愛のカタチ。

私はそんな風に感じてます。

もしみなさんもそういう風に思ってくれたら、作り手としてそれ以上の喜びはありません💕


子供達が2人とも学校がはじまります。
今よりもキャパシティー広がるので、もう少し活動の幅をひろげてゆきたいなー。

ECO MOON PAD WEBSITE→ ECO MOON PAD WEBSITE & ONLINE STORE

ECO MOON PAD Facebook page → ECO MOON PAD Facebook




2016年8月20日土曜日

電子レンジなしで、すっきり生活。

電子レンジの弊害。

いろいろ言われてますよね。
電磁波とか、栄養素壊すとかって。
あの、独特の”ぶいーーーーーん”って音がそのからくりを物語ってる気がします。

とはいえ、前の家には備え付けであったので、そこそこ使ってました。
使う時は”よけろー!”とかって言って。

1年半前に引っ越しした今の家には電子レンジがありません。
買わないといけないのと、置く場所ないのと、あまり好きでなかったのとが、重なって、いらないね、ってことになりました。
なきゃないで、全然大丈夫!なものですね。

電磁波問題もあるだろうけれど、電子レンジ無し生活の一番の恩恵は、無駄とゴミが減ることだなあと日々感じてます。

残ってもチンするからいいかという気持ちで作ってないので、おかわりもなく、腹八分目にもなる。(ユウジは、俺は腹6分目だ!って言うかもしれないけど笑)
無駄無く食べきる方が、後片付けも楽だし、気持ち的にスッキリするので調子いいです。

それと、料理をシンプルに考えられるようになった気がします。
時短とかできないけど、それでいいじゃないって。
冷たいものは、鍋か蒸し器で温めればいいじゃないって。

電子レンジで時短できるのは確かに事実だけれど、省かれた手間と一緒に、野菜や食べ物の尊厳を省いてしまっているような気がして。。。
若い子とか、”火にかける”ことと”電子レンジを使う”ことが同等になってしまったり(電子レンジでお湯作るとか)しないかなあと、主婦心から心配になったりします。

かくゆうわたしも、前は電子レンジがあるからって、多めに作ったり、冷凍する分も見越して作ってました。
でも、そういう食べ物って冷凍庫にしまったっきり結局食べなかったり、
数ヶ月ごとの冷凍庫掃除で捨てられちゃったりしてて。うちだけかな?

電子レンジがなくなって、そういうことがかなり減りました。

Squamishのゴミ処理場はあと数年でキャパオーバーになるとのこと。
ゴミの中で一番多いのは、Food Wasteだそう。
これは、Squamishに限ったことではなく、世界的に見てもそういう傾向があると思います。

電子レンジなし生活は、残飯を減らす効果絶大です。
まず、電子レンジを使わないことで、電気代節約、電磁波被害軽減、食物の栄養素と尊厳が守られ、そして残飯が減る。
残飯が減るということは、ゴミが減る、環境負荷が減る、無駄買いも減る、食べ過ぎ抑制、シンプル思考になるという、一石三鳥以上のメリットがあります。

どうでしょう!?

電子レンジなし生活オススメです!

2016年8月14日日曜日

子供に英語(reading)を教える。その2

太陽に文字を教えていて気づいた、最高にして最大の難しさは、
文字を知らない子どもは、耳から聞く”ことば”と、”文字”が一致しているという発想がない。
太陽は一応、ひらがなが読める。けれど、”ことば”としてすぐに理解できない。
文字を覚えたての子どもには、文章を読めても、意味の繋がらない音を羅列しているようにしか感じられない。大人の世界で言ったら読経みたいなものだろうか。(この方の記事が一番ピンとくる。)

だから、"am"という文字が、”I am"の"am"だということがなかなか理解できない。
何度言っても"and"と”an"と"am"の区別がつかない。
私もイライラして、”だからさ、何度も言ってるじゃん!”って怒ってしまった。
ハイ、ダメなパターンです。
そして、太陽の目からこらえていた涙が溢れ出した。

これまでも1週間に2、3回、1時間ほど”プリントタイム”を作ってきた。
今まで何も教えてこなかった反動か、ひらがなや足し算引き算は喜んで学びたがった。
”わかる楽しさ”が新鮮で、ワクワクに繋がっていた。
わからなくても投げ出さず、がんばって考えた。
”学校は勉強するところ”ということばをポジティブに捉えていた。

だけど、今日、わからないことがつらすぎて、くやしくて、太陽は号泣した。
自分が、新しいクラスメイトよりもできてないだろうこともわかってしまった。
学校というところは、こんな”勉強”を1日5時間もするところだと知ってしまった。

彼の中で、勉強する楽しさやワクワク、学校への期待が壊れてしまっただろうか。。。

そうしてしまったのは、わたしだ。

”おかあさんが、むりやりやらせるからいやだった。”と太陽は言った。
ごめん。そうだよね

でもさ、学校ってさ、やりたくてもやりたくなくても、好きでも苦手でも、やらないといけない時があるんだよう、太陽。

そりゃ、海に放り投げてもいつか勝手に泳ぎだすのは分かってる。
でも、泳ぎ方を少しでも教えてやりたいと思うのが母心なんだなあ。

逆にいうと、今までほとんどそういうこともなく、自由に、心と体の成長だけにフォーカスして、遊んでこれた7年間はかけがえがなかったんだなあ。

7年間、文字を知らず、5感とイマジネーションをたよりに、物事を観察し、考え、感じることできたのは、貴重なことだった。
同時に、社会性と自信を育ててもらった。
ありがとう、Cedar Valley Waldorf School。

と思うと、Waldorf schoolがとてもとても恋しくなるのでありますが、
それよりもなりよりも、”いつまでもかわいいちびっ子太陽くん”が、
すっかり少年の仲間入りを果たしたことを痛感し、
誇りと寂しさを感じる、ある晩夏の午後でありました。

親のそばにいて、かわいい時期はほんの少し。

なんだね。

さて、明日も夏期講習は続きます。
明日は、”楽しく!”をモットーに!?できるかなー。



近所の河原。癒される〜






オーバーヒートした頭をリフレッシュしにきました。
がんばれー息子!