2016年6月19日日曜日

Waldorf School最後の日。

太陽の学校が、公立の学校よりも2週間早く夏休みに入りました。
5月あたりから気配は感じてたんだけど、あっというまに最後の日になっちゃったなあ。

太陽くん、一旦Waldorf School卒業です。
来年からは公立の学校に行きます。
思い返せば、1歳半の時から、ずっとこの学校にはお世話になってきたので、寂しい気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです。

シュタイナー教育通りに、7歳まではいっさいアカデミックなことはやらず、
森の中でたくさん遊んで、柔らかい環境の中で裁縫やヤスリがけ等の手仕事をたくさんやった。
安全で優しい環境の中で、まだつたないけど、英語でもコミュニケーション取れるようになってきて、お友達もたくさんできた。

小さい学校だからみんな顔見知りで、
年上の子達にも、”Hey Taiyo!"って声かけてもらっているのを見ると、
”ああよかった〜”って胸がじーんとくる母心。

友達関係も、微妙に関係性が変わっていったので、
母としてはどうしていいものやらと内心モヤモヤとすることも少しあったけど、
そういうのは見守らないといけないのよね。
そんなこんなも、心の根がはれる温かい環境だったから必定以上にドギマギしなくて済めた。
なんといっても、両手を広げてくれていた懐の広い先生達のおかげ。
Cedar Valley Waldorf  SchoolのMs. Begona, Ms. Kelsey, Ms.Lauren超オススメです。

心が繋がったいいBuddiesもできたのも、人生の宝だね。
って、書いてたら涙でそうだ〜〜〜。

実は、太陽の学校生活を通して、私もかなり成長しました。
私は、今まで、勝手に、”私はよそ者”ってレッテルを張ってて、カナダ社会にも日本社会にもなじめず、人付き合いを逃げてたところがありました。

でも、太陽の友達を預かることで、”子どもって人種関係なくみんな同じだわ”って体感として気づけました。
太陽の友達は、太陽や私を ”英語が下手な日本人”としてなんて見てなくて、
人柄を見て、とても平等に接してくれる。
私も、彼らにたいして、英語が下手だろうが普通に接し、必要なら叱れるようになった。

結果、私の劣等感はかなり緩和されて、
他の子どものお母さん、お父さん方ともっと気軽に話せるようになってきました。
ほんとうにね、すごい成長。笑
子ども達よ、ありがとう。

さて、公立にいったら、いきなり2年生になります。
カリキュラム1年すっとばしてるけど、アカデミックな面は、夏休みにやることにして、
心の方は、土台になる7年間を、Cedar Valley Waldorf Schoolで育ててもらったから大丈夫と信じて、9月から新たなスタートを迎えたいと思います。

といっても、、、夏休み長い。長過ぎる。。。





2016年6月6日月曜日

料理でストレス発散

題名の人物は、私ではない。
私がそういう人であればいいのにと心から願ってやまないのだが。

周りに、”料理がストレス発散”と言う友人が何人かいる。

彼女達によると、悶々としているときに、思いついたかのように、野菜を切ったり、粉をこねたりして、料理をすると気持ちがスッキリするのだそうだ。

悶々としていなくとも、そういう方々は概して料理好きで、
新しい素材にチャレンジすることも臆せず、
ポットラックといっても、私の持参した物を出すのが気恥ずかしくなるほど、しっかりした”一品”それどころか”二品”用意してきていることはざらで、
SNSのごはん写真も、”今日はがんばってつくりました。見て見て!”的なポストではなくて、日頃から平均的に素敵なごはんを作っているのが伝わってくる。

そして、私がその素晴らしさをほめると、みな一様に、そして謙遜気味に、”だって私食べるの大好きだからさ”と言うのである。

素晴らしい。好きこそものの上手なれ。

私はどうも料理に対する情熱が薄い。
母親になってから、私なりに研究したし、親しむ努力は今もしている。
でも、相変わらずなのは、結局、私は食べることにそこまで関心がないのだと思う。
自分の名誉のために付け足すと、インスタントでいいという意味ではなく、新しい素材を開拓したり、素材にあれこれ味をつけて、凝った方法で調理することに心が躍らないという類の関心のなさである。
唐揚げ、コロッケ、天ぷら、春巻きレベルになると、もう買いたい。
マリネードに、ジャムやらジュースやらを使うレシピは嫌厭する。

それに、手間ひまかけたものが早ければ10分ちょっと、長くても1時間程度で消費されてしまう儚さがどうにもやりきれない。後片付けまで考えるとげんなりする。

そのかわり、といってはなんだけれど、私の場合”裁縫”がストレス発散になっているかもしれない。
かといって、決して上手ではない。
でも、断った布が縫われて生活を支える”何か”になっていく過程がとても好きなのだ。
ミシンの、規則的な音と潔い直線と向き合っていると、気持ちが凛とする。
料理とは違って、できあがった”何か”が数年は役に立ってくれる点もポイント高い。
料理にたいしても、こう思えたらいいのに!

母親になるということは、生活力を鍛える修行でもある。
今までは、”食べることに関心がありません”と、口に出すことが憚られたけど、
この年になると、認めてしまうことも上手の近道かもと思えるようになってきた。

苦手だからといって、避けて通れないのが料理。
少しでも好きになれるよう、美味しいものをたくさん食べれる残りの人生であってほしい、と慎ましく願っておこう。